意見の対立について

意見の違いがあるときには、「誰が正しいか」を考えてしまいがちです。プレゼン後の質疑応答にしても、質問や意見が出てくるだけで、責められている気分になってしまうことがあります。

ドラッカーは、アメリカの政治学者メアリー・パーカー・フォレットの考えを引用して、意見の違いがあるときには、誰が正しいかを考えるのではなく、全員が、違う問題に対して正しい答えを述べていると考えるべきだと言っています。
(今日もまた、『非営利組織の経営』からです。)

ここで思い出すのは、どこで見たか忘れてしまいましたが、目隠しをした複数の人が、それぞれ象の違う部分を触りながら「(鼻を触っている人)これは蛇のような生き物だ」「(背中に乗っている人)これは山のようだ」「(尻尾の先を触っている人)これには毛が生えているぞ」…といったように、違う意見を言っている図です。

全体像(象)が見えたとき、全員が「やっぱり自分の意見は正しかった」と言えるかどうかは怪しいですが(おそらく言えないでしょう)、ここで大切なのは、意見が違う段階で、それだけを以て「誰が正しいか」という議論をしても意味がないということだと思います。

まずは「全員が正しい」という視点に立ち、物事の全体像を把握する。正しいかどうか(というより、自分たちはそれをどうとらえるのか)は、全体像が明らかになってから考えるべきなのかもしれません。

「意見の対立とは意見と意見の対立ではないのである。よき信念とよき信念との対立である。」

ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営

ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営